世界中の子どもたちを夢中にさせたというリンドグレーン作【長くつ下のピッピ】に、読み始めてすぐの段階では、違和感がありました。
ピッピという少女が持っている「金貨がぎっしりつまっているスーツケース」。
ピッピは「サルのニコルソン氏」と「金貨がぎっしりつまっているスーツケース」の2つしか持っておらず、おとうさんが用意しておいてくれた、ごたごた荘という「家」に住んでいます。
生活資金が苦しい状態から抜け出せない自分には、「世界一つよい女の子」であるピッピに負けない「世界一つよい人間」になるためにどうしたらよいか、わからない…
私が抱いた違和感は、ピッピへの嫉妬なんだろうと思います。
自分が「わからない」と結論を出して思考停止をしていることを教えてくれた物語が【長くつ下のピッピ】です。
【長くつ下のピッピ】とは
【長くつ下のピッピ】はアストリッド・リンドグレーン作の児童文学で、1945年にスウェーデンで出版されました。
岩波少年文庫版のこの物語に、訳者の大塚勇三氏が文章を寄せているのが1964年なので、日本に出回ったのもその頃なのでしょう。
1964年といえば、第1回東京オリンピックが開催され、東京と新大阪に新幹線が開通するなど、高度成長期の象徴ともいえる、昭和39年。
日本は1945年に終戦を迎え、20年もたたないうちに「豊かさ」か追及され始める国になっていました。
人が生まれてから成人する直前までという時間軸でみると、その経済成長の歴史は驚異的です。
しかしどんな世界にも不条理はあって、強いものが弱いものの上に立つという図式は変わりません。
下のものが上のものを支え、上に立つものが下のものを支える助け合いの構図が広がれば、社会にほんとうの豊かさが循環するのでしょう。
実際には、弱いものがはじかれていく世の中です。
子どもは、動乱の歴史にもまれながら、それぞれの感受性を鋭くしていきます。
とにかくつよい女の子
この作品の主人公のピッピは、読者の子どもたちが「こんなふうにできたら素敵だな」と思うようなことをやってのけてしまいます。
(1)どんなえらそうな人も怖がらない
(2)おとなにおかしなことがあれば、じゃんじゃん言いまくる
彼女にはブレない正義と芯の強さがあります。
ただし、まだ10歳にもならないくらいの女の子が、弱いものいじめをしているガキ連中を次々に投げ飛ばしたり、孤児院に連れていこうてする警察官たちをあきらめさせたりする話には、どこか「飛躍」感をぬぐえません。
頭が固くなってしまったオトナの読書の仕方なのでしょうか。
ピッピには、持ちえていないものがたくさんあるのに。
彼女が「金貨がぎっしりつまっているスーツケース」を持っていることが、うらやましくて仕方がありません。
警察官やサーカスの大男、泥棒らと戦って勝ってしまうほどの体力。これも、虚弱体質でうつ病な私には「そんなチカラがあったらなあ」と、読んでいてへこんでしまう箇所になり…かけていました。
ふと、気がつきました。
【長くつ下のピッピ】とは、「世界一つよい女の子の話」ではなく、「世界一孤独な女の子の無重力の話」ではないでしょうか。
ピッピはおとうさんもおかあさんも、幼い頃に亡くしています。おとうさんが残してくれた遺産で生活をしています。
たとえば彼女にはお金や、世界一つよい男よりつよい体力があります。
一方で、彼女には算数や国語、または社会のルールなどの知識がありません。
負けず嫌いの性格なのか、誰かに言い負かされる前に、船長だったおとうさんと航海していた時代に寄った国々の話を「ホラ」をまじえて得意げに語ります。
友達に連れられて学校に行った際にも、問題を出してくる先生に対して、問題から想像力を広げて違う問題を作ってしまったり、絵を描く時間には紙だけでなく床にまで筆を走らせてしまう奔放さ。
人々が「常識」として固定概念にしてしまっている縛りが、ピッピにはありません。
「気がつける」こころ
ピッピは、先生に言われます。
「あなたみたいにおぎょうぎの悪い女の子は、どんなに自分でに来たがっても、学校に入れてもらえないでしょうよ」
ここで、ピッピの思考は止まります。
「私は、おぎょうぎがわるかった?」とびっくりして「でも自分じゃ気がつかなかったのよ」、哀しそうに、がっかりして告白するのです。
ピッピにとっての強さとは、大人に負けない力のことではなく、自分が「知らない」「わからない」道徳やルールについて、しっかりと受けとめて、自分が人を傷つけることをしたと感じたら、素直に謝ったり、自分の心苦しさに気がつけることです。
そして、物事をネガティブに終わらせないこと。自分にとって大切なことを教えてくれた人には、必ず、対価として何かをプレゼントします。
このあたりの才能は、船乗りのおとうさんを見て育った影響でしょうか。
さんざんピッピに振り回されて、ブチ切れていた大人たちも、ピッピに負かされて、でもピッピが心から感謝をこめて、それらね人たちにもプレゼントを渡すことで、「ピッピという生き方」をゆるす、あるいはそういう生き方もあるんだなと認識するようになります。
だから、ピッピにはネガティブがありません。
ほかの子がネガティブだったら、そのネガティブを覆うルールや常識をぶ飛ばしてしまいます。
ピッピは家族構成としては天涯孤独です。ひとりで生きることにも慣れています。
そのぶん、他者との接触に興味津々で、しかし付き合い方の距離感がわからないから、ポジティブさを発揮して、自分から「良い方向に解釈して」行動を起こします。
少しでもネガティブだったら、起こせない行動を、ピッピはなんのてらいもなく、やってのけてしまいます。
小さい読者の願いを叶える
訳者は
「この作家の空想の豊かさ」と
「子どもの夢や心の動きをじつによく知っていること」
の2点に驚きを示しています。
「彼女は、小さい読者のしたいことや、願いをそのまま本の中でかなえ、子どもの楽しみ、喜びやかなしみ、心のかげりを、まるでいっしょに呼吸でもしているようにいきいきと描くので、作品が常識から見たら異常なことのようでも、不自然さがない」
訳者の解説から深読みしてみたいのが、ピッピと友達になった隣の家のきょうだいとのやりとりです。
三人が仲良くなってから、ピッピと友達になったアンニカが、ピッピを学校に誘うのです。
「ほんとに、学校がどんなに楽しいか、あなたにわかったらねえ」
「もし学校に行けなくなったら、わたし、気が変になっちゃうわ!」
アンニカにとっては、学校は行けなくなったら気が変になってしまうくらい楽しい場所なのです。
現代社会における義務教育で、ここまで学校に行けることを楽しく思えている人が、どのくらいいるでしょうか?
そういう意味では、アンニカはじつは「世界一つよい学校好き」なのかもしれません。
ピッピが、なんやかやと理屈をつけながらも学校に行くことにしたのは、アンニカの素直な気持ちが通じたからではないでしょうか。
【長くつ下のピッピ】は、強い気持ちを持って生活することで、生活を楽しくできることを、何度も教えてくれます。
ピッピには、生きるために金貨や家が用意されていました。
ふだん、生きるのが苦しいと感じている人も、じっくりと自分を見つめ直してみると、生きるための、何かしらの強さを持ちえているのではないでしょうか。
何度も考えて、自分が生きるための何かしらを持ちえていないという結論が出たなら、「自分は生きるための何かしらを持ちえていないのに生きている」という強みを、手にしているではありませんか。

- 作者: アストリッド・リンドグレーン,桜井誠,大塚勇三
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/06/16
- メディア: 単行本
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ものを発見するチカラ
ピッピは自称「もの発見家」です。
「この世界には、いたるところ、ものがいっぱいあるわ。だから、だれかがそういうものを発見してやるのが、ぜったいに必要なのよ。それをするのが、もの発見家なんだわ」
もの発見家
↓
新しいもの、こと、視野を発見して
↓
それで何かをする
好奇心の旺盛さにあふれる発想です。
ならば、読者である私、「せとさん的もの発見家」とは何か?
じつは私は、この本を読んでいる途中に、あることに気がつきました。
「自分の限界」
です。
「ムリをしないように」と気をつけつつ、「ここが限界」のポイントを、わかろうとしていません。
お金が無いなら、どうすればいつまでにお金を増やせるか。知恵をめぐらせていません。
100円ショップや無料スポットの有効な使い方ならいくらでも紹介できますが、自分がお金を手にする方法を、しっかり勉強していません。
私がやりたいことは「苦しい気持ちや傷を抱える人たちが心から笑顔で暮らせる社会の創造」です。
そのために必要なこととして、この本を読んでから
「楽しい時間を提供する」
「(子どもたちに)ほんとうの夢を与えること」
の2つが加えられました。
食品や服のように、生きるために必要なものの第一ではない、私の文章や表現が、誰にとってかけがえのない有効なものになれた時に、私にもお金が入ってくるでしょう。
それでもお金が入らなかったら、本当に才能がないのでしょう。
何かを書いたり表現する時に、常に今までのベストの文章やパフォーマンスの状態を維持しつつ、向上させていこう。
悪魔がささやいてきます。
「きつかったら、やめてもいいんだよ」
今はまだ、がむしゃらに、かつ冷静に、自分をポジティブに動かしていく時期だから。
悪魔が住みついた自分さえも、楽しんでみます☆彡
(この記事は2015年11月に自分のアメブロに投稿したものを大幅に加筆・修正してこちらに転載しました。)