この記事ではドラマ「相棒」の名作「空中の楼閣」の感想などについて記述しています。
「ビター・ラブ」の映画化が決定!
キャバクラのボーイだった青年は、夜の世界の裏側を書いたブログが人気を呼んで、作家デビューしました。
その作家・庄司タケルの「ビター・ラブ」は200万部を突破するほどのベストセラーになりました。
10代・20代の女性が読者の中心。
ボーイ時代に人を見る目だけはムダに磨かれたという庄司は言い放ちます。
「いまどきのバカな女どもが読みたがってる小説も手に取るようにわかるよ。これからもせいぜい稼がせてもらうよ」と。ムチャクチャです。
彼が住んでいるのは、超高層マンションの最上階。右京さんいわく「空中の楼閣(くうちゅうのろうかく)」です。
「ビター・ラブ」の映画化が決定しました。
小説の中の主人公・夏美は、エリセ化粧品という化粧品会社のマスカラを使用しています。
庄司と編集者は、エリセ化粧品と契約して、その化粧品を主人公に使わせていました。
岩下悠子脚本は「せつない」
「空中の楼閣」は、【相棒season6】の第7話として、2007年12月5日に放送されました。
この作品を担当したのは岩下悠子さんです。
東映の芸術職で研究生だった岩下さんは「相棒」シリーズだけでなく、「科捜研の女」や「京都地検の女」、2時間サスペンスものなど、多数のドラマで執筆しています。
岩下さんが担当した「相棒」での脚本の魅力は「せつなさ」です。
「相棒」は「刑事ドラマ」であり「人間ドラマ」でもあります。
1話ごとのゲスト登場人物の心の動きが詳細に描かれています。
その人はなぜ殺されなければならなかったのか。その人はなぜ殺したのか。何が正しくて、何が正しくないのか。
岩下さんは、登場人物の心を動かすことで、視聴者の心も動かす魔術師です。
ノンフィクション大作「沈黙の森」
亀山くんの妻・美和子さんは、初めて本を出版することになっていました。ノンフィクション作の「沈黙の森」です。
「沈黙の森」の冒頭に、装丁を担当した安藤芳樹は共感しました。
「あなたの子ども時代の記憶に、森は存在するだろうか。緑に包まれた場所は存在するだろうか。
その場所で、あなたは何を思い、どんな未来を夢見ただろうか」
しかし、エリセ化粧品の四国工場が環境汚染に関与している疑いを本にまとめた「沈黙の森」は、出版されることはありませんでした。
契約の寸前で、担当編集者の勝村が殺害されてしまったからです。
「真実に鋭く切り込みながらも、いたずらに読者の危機感を煽り立てることなく、首尾一貫して理性的な語り口が保たれています」と美和子さんを絶賛する右京さん。
「最近の若い作家の中には重厚な小説の書き手が極めて乏しい。庄司タケルの作品に至ってはテーマ性が希薄で、見るべきものは何もない」と流行作家をバッサリ斬るどこかの批評家。
しかし売れるのは庄司タケル。よくある話ではあるのですが。
「君の代わりなどいくらでもいる」
自分が許容できる境界線はどこにあるのか。境界線を越えてしまったらどうなるのか。
「もっと毒々しい感じがほしいんだよ」
このくらいの指摘なら、まだ我慢のできました。
「なんだ。君もあいつと同じだな。万人受けするものをそつなく作って、それが受け入れられて満足してる。世の中に嫌われるのが怖いんだ」
コブシをぐっと握って耐えましょうか。
「勘違いするな!君の代わりなどいくらでもいる。文句があるなら、君とはこれっきりだ!」
耐えろ。耐えてくれ。
「…なんて、所詮…だろ」
もう、耐えられない。理性が吹っ飛んで、そばにあった灰皿で思いっきり殴りつけてしまった…。
自分の作品が潰されたことで、自分の人生を潰してしまった人間が、右京さんの前で脱力しました。
「見おろす」と「見くだす」
「楼閣」とは、高く立派な建物のことです。劇中では庄司タケルが住むマンションを形容して使われていますが、この作品を見ていると、もっと深い意味を感じます。
庄司タケルは、キャバクラのボーイから売れっ子作家にのし上がって、人を「見下す」ようになりました。
最上階から都会の街並みを「見おろす」。
「見おろし」ているうちに、「見くだす」ようになる。
そして庄司タケルは笑います。
「世の中には2種類の人間がいる。人を見くだす奴と、人に見くだされる奴」
しかし。
庄司は、右京さんの心を見透かすことができませんでした。
そこにはきっと、人を見くだすことにも、人に見くだされることにも興味のない人間がいたのでしょう。
人は自分が他人より上にいれば気持ちがいいし、他人より下にいると屈辱を感じます。葛藤は誰にでもあるものです。
杉下右京という人物は「人は犯した罪を法で裁かれなければならない」という警察官としての信念を持ちつつ、人の命の重みは平等であるという愛に生きている人です。
そこには「見下す」感情が存在する余地は無さそうです。
ひるがえって、このドラマを見ている視聴者の自分が、人を見下したり見下されたりしている状況に執着していることに気がつきます。
平等よりも偏見に居心地を求めている自分の心が、うずきました。
あの日のケータイ小説
「空中の楼閣」が放送されたのは2007年。直前に、ケータイ小説のブームが訪れました。
「ビター・ラブ」に似たタイトルの小説がベストセラーになりました。
私も読みました。感動しました。
感動した記憶はあるのですが、話の内容は覚えていません。
ブームが去った頃に、大手古本屋チェーンのお店に、ケータイ小説の本がズラリと並んでいたことは覚えています。
ドラマの中で、庄司タケルのサイン会に行くという女子高校生2人が、右京さんたちに声をかけられました。
「庄司タケルさんの小説は、どんなところが面白いですか?」
「どんなところって、読めばわかるよね?」
「それ答えになってないじゃん」
「やっぱり?」
「映画もあるしねー」
「超楽しみ。マジ見るし!」
内容について、何も語られていない!
あの頃、携帯電話で気軽にネット社会とつながることができるようになった時代背景。
家庭内暴力や自傷など、それまで隠していた悩みを打ち明けられる場所ができたこと。
ケータイ小説のブームについては一過性のものだとしても、そのブームがあったからこそ、10代・20代の女性が抱える深刻な状況が明らかになりました。
一方で、あれから10年以上たっても、解決されない深い闇がたくさんあります。
庄司タケルは、自分が少年時代、見下されて生きていたことを思い出しました。
彼は、自分が書きたい小説が何かを発見しました。
彼はもう、読者を見下した文章を書くことは無いでしょう。
庄司タケルの新しい小説は「ビター・ラブ」の読者層には受けないかもしれません。
しかし、「ビター・ラブ」も、新しい小説も、根底にある葛藤は同じです。見下されている人間の闘いです。
今まで「夏美マスカラ」を使って遊んでいた女子高校生たちが、そのマスカラが環境を破壊しながら作られていたかもしれないと知ったら。
エリセ化粧品は、もう逃げられません。
空中に楼閣なんてありません。
地に足をつけなければ、高くて立派な建物を築くことはできません。
新しい「沈黙の森」を作らないようにするために、私たちができることが、何かありそうです。
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