この記事では、東野圭吾さんの小説【放課後】を読んだ感想を、読書感想文の定型である「結→起→承→転→結」を意識して述べています。内容にネタバレを含みますのでご注意ください。
結1=まとめ
動機が何であれ、人を殺す行為は許されません。どうしても教師を殺害しなければならなかったのか。では、どうすれば良かったのか。高校生が選んでしまった間違いのほうの選択肢。あり得ないことではないだけに、その心に寄り添う必要がありそうです。
起=この作品について
【放課後】は、1985年の第31回江戸川乱歩賞に選出された、東野圭吾さんの小説です。
東野さんは、1999年に【秘密】で第52回日本推理作家協会賞、2006年に【容疑者Xの献身】で第134回直木賞と第6回本格ミステリ大賞を受賞するなど、日本を代表する作家です。【放課後】は東野さんのデビュー作にあたります。
江戸川乱歩賞は長編推理小説を選考対象としています。
【同級生】では、女子高校で連続殺人事件が起き、その真犯人や密室トリックの解明などが展開されます。推理小説です。
一方で、物語の語り手である「私」を通して、高校の生徒の揺れ動く心が細かく描写されていて、謎解きの要素だけではない奥行きがあります。
私は推理を楽しむよりも、高校生の心情の変化を読み取ることに集中しました。
国語が得意で数学が苦手な性格の表れでしょうか。トリックや真犯人などの、ひとつの解答を導くものよりも、人の心という、答えがわからないものを想像していく作業が好きなのです。
承=物語のあらすじなど
「私」こと前島は、私立女子高校の数学教師です。通勤中に、あるいは学校での移動中に、命を狙われる出来事が連続します。
洋弓部の練習を終えた前島は、密室の更衣室で、同僚の教師である村橋の死体を発見しました。
警察の見立てによると、どうやら殺人事件。なぜ村橋は殺されたのか。真犯人が見つからないまま時が過ぎます。
数日後の体育祭で、今度は陸上部顧問の竹井が殺害されました。
村橋も竹井も、自分の身代わりで殺された…。前島は身の危険にさらされつつ、事件の真相を追いかけます。
転=印象に残った点
人は、他人の心はわかりません。子供であっても、大人であっても。子供から大人へと成長が加速する高校生の心は、予測のつけようもありません。たとえ教師であっても、生徒の心を完ぺきにわかることなどできません。
村橋と竹井を殺したのは高校生です。
そのきっかけは、自分が絶対に見られたくない姿を、二人の教師に見られてしまったことでした。
見られたショックで、生徒は自殺を企図しました。仲間に発見されて、命は助かりました。
しかし、見られてしまった事実は消せません。
生徒にとって、地獄の日々が始まります。
登校すれば、授業で村橋や竹井が自分を見てきます。教師たちがどのような気持ちで見ているのかはわかりませんが、その生徒にとっては、見られていると感じるだけで恐怖です。
現実世界で、自殺した人について「死のうとする前に理由を話してくれたらよかったのに」という嘆きが聴こえる時があります。
誰かに理由を話せたら楽だと思います。ただし、話したら楽になるのなら。話したところで何も変わらないと絶望した時に、人は死を選択してしまうのかもしれません。
それでも、生徒には話を聴いてくれる仲間がいました。自分の死を真剣に止めてくれました。
しかし、生きていることほどつらいことはないのです。
生徒はやはり死を選択しようとしました。
すると仲間は、秘密を知っている教師をこの世から消してしまえばよい、と提案しました。
ここに、間違いがありました。自分が死なない代わりに他人を殺してよいという道理はありません。
生徒は殺人という犯罪行為に手を染めてしまいました。
人を殺して手に入る平穏があるのかどうかは、人を殺したことがない私にはわかりません。
では、殺されてよい命はあるのでしょうか。
そこまで思い至らならった犯人が残念でなりません。
ただし、この事件は、成人ではなく未成年の高校生が起こしたことに留意が必要です。
殺人以外にとるべき道とは何だったのでしようか。
卒業するまでの間、ずっと教師たちの好奇の目にさらされて生きなければならない絶望を取り除くためには、どうしたらよかったのでしょうか。
結2=まとめ
事件を担当した刑事は、今回の事件の動機について、成人が引き起こす「色、欲、金」の三原則では説明がつかないとして、前島に一人の教師として意見を求めます。女子高生が人を憎むというのは、どういう時かと。
「彼女たちにとって最も大切なものは、美しいもの、純粋なもの、嘘のないものだと思います。それは、時には友情であったり、恋愛であったりします。自分の肉体や顔の場合もあります。いや、もっと抽象的に思い出や夢を大切にしているケースも非常に多いものです。逆に言えばこういう大切なものを破壊しようとするもの、彼女たちから奪おうとするものを、最も憎むということになります」
自分にとって絶対的に大切なものを守るために、他人を犠牲にしてでも脅威を取り除くことに夢中になってしまった犯人。
しかし、人を殺してしまってから、自分を脅かすさらなる恐怖を抱えて、結局、それを隠して過ごすことになりました。
すべてが明らかになったところで、彼女たちはどんな心境だったのでしょうか。
なぜ人を殺してはいけないのか。殺してしまってからでは手遅れだけれど、それでも彼女たちは、考えて罪をつぐなうことで、大人として人生をやり直すチャンスがあります。
どうやって殺したかよりも、なぜ殺さなければならなかったのか。
差しのべられた救いの手が間違った方向への誘い水となってしまったことが、残念でなりません。
おわりに
真犯人とトリックは解明されました。
しかし、私は、犯人となった人物が、自殺や他殺を選択するのではなく、どうすればよかったのか、その理想的な答えがまだ見つけられません。
【放課後】という小説を学校の授業に例えるならば、物語が完結した後、つまり「放課後」の時間を大切に使って、正しいと確信できる答えを導こうと思います。