光る風の少年はどこへ

2020年はドラマ「相棒」関連の記事が中心です。タイトルは「相棒」のシーズン1に登場した絵画「光る風の少年」から。

SNSの叩き文化に巻き込まれないたった1つの方法とは…「共感」をめぐる罠

SNSを含むネットでは、特定の人をバッシングする叩き文化が広まっています。なんだかイヤーな感じですよね。

 

自分が軽い気持ちで「いいね」を押した批判投稿が、拡散を重ねて共感されエスカレートし、叩かれた人が死を選んでしまうというケースもあります。ちょっと怖いですね。

 

自分が叩いたり叩かれたりの当事者になってしまう未来がないとは言えません。

 

イヤーな気持ちにならないために、加熱する叩き炎上文化に自分が巻き込まれないようにする、たった1つの方法とは…?

f:id:setosan1015:20200808014139p:image

エスカレートした末の死

2020年5月、女子プロレスラーの木村花さんが、SNSなどでの誹謗中傷に耐えきれず自殺したと思われる事件が起きました。享年は22歳です。

 

木村さんの訃報は大きく報道され、多くの人がモヤモヤしました。木村さんを叩く輪の中に入ってしまっていた人は後味の悪さを感じたでしょう。

 

ネット上では、倫理違反をしたと位置づけられる人が圧倒的多数の「意見」や「批判」によって叩かれて、炎上するケースが増えています。

 

批判は「非難」や「誹謗中傷」などの名誉毀損、人権侵害にエスカレートしてしまうことがあります。

軽い気持ちの「いいね」が攻撃に?

個人が自分ではない誰かの行為や言動を批判することは、それが悪意を帯びたものでなければ、規制されるいわれはありません。


純粋な気持ちで疑問を感じたことや怒りを覚えた問題に批判を論じる人がいる一方で、SNSで「いいね」などの機能による同意が欲しくて、ニュースや誰かの言動を利用して批判コメントをする人もいます。

 

誰かが投稿した批判コメントが共感を呼び「いいね」が押されたり拡散されたりすることで、批判は熱を帯びます。


他人を攻撃して得られる快感は中毒になりやすく、ストレスの発散につながることもあります。

f:id:setosan1015:20200808014347p:image

私も軽い気持ちで多数派の「いいね」の一員になった経験があります。当時は正しい意見に賛同したという肯定感がありました。

 

しかし振り返ると、ストレスを誰かに責任転換したくて、糾弾する対象を見つけて「いいね」という兵器を使って攻撃したようなモヤモヤ感が残ります。

「どうでもいいけど」批判する

数年前、国民的アイドルグループのメンバーがが、グループの選抜総選挙結果が発表されるステージでいきなり「結婚します」と宣言しました。


この行動に対してネット上ではバッシングが始まりました。

 

「自分はアイドルとか興味無いからどうでもいいけど、その子を総選挙で上位にランクインさせるためにたくさんお金を払ったファンに失礼なのではないか」


という意見が続出しました。


批判の投稿をした人は「どうでもいいけど」と当事者から遠く離れた場所にいることを前提として意見を述べています。

 

「どうでもいいけど」と前置きしながらも意見を述べちゃっているので、どうでもよくなかったんじゃないかと思ってしまいますが…

 

この「どうでもいいけど」に共感してしまう人も少なくありません。投稿者と同じ「どうでもいいけど」という安全圏を共有してから「私もそう思う」と共感するのです。


批判ツイートが自分のモヤモヤした気持ちを代弁してくれたと感じて、共感して軽い気持ちで「いいね」を押すといった感じです。軽い気持ちなので「いいね」を押したらすぐに忘れてしまうこともあります。

リアルでも殺伐、SNSでも殺伐

批判から派生した「共感」には、騒動の元になった事象や批判などの意見に対して「正しいかどうか」よりも「好きか嫌いか」や「快か不快か」の基準で判断されるものも少なくありません。

 

「共感」は時として暴走します。


共感が暴走する過程を見て「集団や圧倒的多数にいるほうが自分は間違っていないと思えるが、それが攻撃に変わってしまうのは怖いと感じた」という人もいます。


中学生や高校生の世代からは、SNSを含むネット社会で他者とのつながりを楽しむ一方で、叩きや炎上につながる「共感」に対して戸惑いの声も挙がっています。


ある中学生は「使い始めた頃はSNSには小さな支え合いのようなゆるい温もりを感じていたが、叩きや炎上などを見ていると怖くなった」と話します。

f:id:setosan1015:20200808014308p:image

高校生からは「リアルの殺伐が苦しくてネットの世界に救いを求めようとしたが、SNSで誰かが叩かれる過程を見ていると、リアルと同じような負の感情に包まれている気がして、本当の自分を出せない」という声が出ました。


「リアルであれもこれもダメ、SNSの世界でもダメだったら、どこに行けば安心できるの。私が求めている『共感』はどこにもない」


そう感じつつも、ちょっとした空き時間にSNSアプリのボタンを押して、他人の投稿をチェックする習慣は変わりません。

言論の自由という壁

ネットでの誹謗中傷について、被害者がプロバイダ側に削除依頼を申請しても、受理されるかどうかは微妙です。


言論の自由という壁が存在します。「発言する側にも自由がある」と反論されてしまう場合があります。


コメントの内容が明らかな脅迫行為である場合には、削除依頼や警察へ出向くなどの対処ができます。しかし、批判や意見と誹謗中傷の線引きははっきりしません。


政府はネットにおける誹謗中傷や脅迫行為などに対する法整備をおこなう意思を発表していますが、実現には時間がかかりそうです。規制の範囲や罰則が曖昧に終わる可能性もあります。

叩き文化を回避するたった1つの方法

過度のネットバッシングや叩き文化の行く末に悲しい結末が待っているのなら、その終息のためには、人々の良識に訴えるぐらいしかないのでしょうか?

 

「多様化社会を受け入れよう」という解決策が提示される場合があります。なるほどその通りです。

 

しかし「多様化社会」という言葉でくくられたものををどう受け入れ、どう対処したらたよいのかわからなくなってしまうこともあるでしょう。

 

もっとわかりやすく、叩き文化に感化されたくない人が、叩き文化を回避する方法があります。

 

それは「SNSをやめてしまう」ことです。

Twitterも消しちゃう?

情報を遮断してしまえば、過度の批判投稿を目にすることもありません。

 

やめてしまうといっても、全部を永久にやめてしまうのではありません。いったん距離を置くということです。

 

LINEの個人間のやりとりなど、生活に必須なSNSツールをやめることはありません。

 

取り立てて必要というわけではない情報媒体と距離を置くことで、SNSとの近すぎる関係をリセットすることができます。

 

私は、SNSの叩き社会に嫌気を感じて、FacebookとTwitterのアカウントを思い切って消しました。

 

どちらのアプリでもたくさんの人と交流させていただきましたが、いったんサヨナラしました。またご縁があれば、きっと再会できます。

 

重要な人のアカウントはメモしておけば、復活したときに検索できます。

 

アカウントを消すことで、SNSとの付き合い方を見直すことができます。

 

いきなり消さなくても大丈夫です。投稿をやめてみたり、他人の投稿を読む時間を減らしてみたりして、距離感が少し遠くなったら、思い切って垢消しをするというのも良策です。

必要ならその時にまた作る

 SNSが自分に本当に必要かどうか、必要ならどのような使い方が望まれるのかなどを検討し、SNSを再開するか、再開しないか、保留にするかなどを決めます。

 

私はTwitterで0フォロー0フォロワーの新しい鍵付きアカウントを作成しました。トレンドをチェックするなど最低限の活用をするためです。

 

バッシング系のツイートは目に入らなくなりました。

 

自分に合ったとSNSとの距離感を把握しておけば、自分と関係の無い人の投稿に感情が左右される機会は減ります。

 

使っているうちにまた情報が多くなって、叩き文化に嫌気や恐怖を感じたら、また垢消しをして、SNSから離れてみます。

 

ログアウトして見ないようにするだけよりは、アカウントを消してしまうことがオススメです。

 

スマホのアプリボタンを押せばすぐに見れてしまうSNSは、見ないようにしようと思っても、ふと見てしまうものです。

 

無くなってしまえば、見ることができません。アプリもアンインストールします。

 

LINEでのリアルな連絡などの、とりあえず必要なもの以外のSNSが、自分が思ったより「見なくてもいいもの」であることに気がつきます。

 

その上で、自分で必要なものを選択すること。

 

本当に必要なものだけあれば、よくない?

《余談》この「共感」にどう思う?

さて、とあるプロレスラーが、駐車場で順番待ちをしていて、割り込みをしてきた男にヘッドロックという技をかけてケガを負わせて逮捕された事件がありました。


このニュースには、レスラーを擁護するコメントが集中しました。


「ケガをさせたのは悪いけど、本当に悪いのは割り込んだ奴だ」という意見に「いいね」の数がたくさんつきました。

 

「ケガをさせた人も悪いし、割り込んだ人も悪い」という意見もありました。こちらは「いいね」が伸びませんでした。


「共感するのはどちらか」と「正しいのはどちらか」に微妙な違いを感じたのは、私だけでしょうか?