この記事では小説・ライトノベル【涼宮ハルヒの憂鬱】(谷川流、株式会社角川書店、平成15年=2003年)の読書感想文を述べています。
学校の夏休み前などに習う読書感想文の定型である「結→起・承・転・結」を意識して書きました。
- 結1→感想文の結論のまとめを冒頭に
- 起=【涼宮ハルヒの憂鬱】とは(説明)
- 承=【涼宮ハルヒの憂鬱】のあらすじなど
- 承2=この小説の魅力(わかりやすいストーリーとキャラクター)
- 転=考察(21世紀初頭の日本社会に生きる高校生の葛藤)
- 結=この小説から得たこと(日常を変える勇気)
- 結の転=『語り手キョンの爽快』
結1→感想文の結論のまとめを冒頭に
退屈でうんざりする日常から脱出するには、変わるのを待つのではなく、変えるために自分が行動することが必要であると学びました。
起=【涼宮ハルヒの憂鬱】とは(説明)
【涼宮ハルヒの憂鬱】は、平成15年(=2003年)に株式会社角川文庫から発行された、角川スニーカー文庫レーベルの小説・ライトノベルです。
この文庫作品は、谷川流(たにがわ・ながる)氏による、第8回スニーカー大賞の大賞受賞作に、著者が加筆・修正したものです。
その後、小説は『涼宮ハルヒシリーズ』として、2011年の【涼宮ハルヒの驚愕】まで刊行が続きました。2006年、2009年にはテレビアニメ化され、2010年には劇場版【涼宮ハルヒの消失】が公開されました。
2020年11月25日に、約9年半ぶりとなる小説・ライトノベル最新刊【涼宮ハルヒの直観】が発売されることが決定しました。『涼宮ハルヒシリーズ』は、現在進行形です。
タイトル名にある「涼宮ハルヒ(すずみや・はるひ)」は、本作の主人公である女子高校生です。「憂鬱」は「ゆううつ」と読み、気持ちが晴れ晴れとしないことを指します。
本作は、憂鬱な日常をぶっ壊すために破天荒な行動をとるハルヒの姿が、その騒動に巻き込まれるクラスメイトで物語の語り手となるキョンという男子高校生の目線で描かれます。
承=【涼宮ハルヒの憂鬱】のあらすじなど
県立高校に入学した涼宮ハルヒは、新しいクラスでの自己紹介で「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」と呼びかけます。
ハルヒは語り手の「俺」ことキョンを巻き込んで「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」、略して「SOS団」を立ち上げます。
長門有希(ながとゆき)、朝比奈(あさひな)みくる、古泉一樹(こいずみいつき)といった個性的なメンバーが集まり5人となったSOS団は「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと」を活動内容として、校内にビラを撒いたり、街に探索に出かけたりします。
しかし、とくに何事かが起こるわけでもなく…と思っているのは本人だけでした。
長門有希は宇宙人、朝比奈みくるは未来人、古泉一樹は超能力者だったのです。
承2=この小説の魅力(わかりやすいストーリーとキャラクター)
【涼宮ハルヒの憂鬱】は、ストーリーの面白さとともに、登場するキャラクターの魅力も人気の要因になっています。
文学部の1年生らしき長門有希についてキョンは「白い肌に感情の欠落した顔、機械のように動く指。ボブカットをさらに短くしたような髪がそれなりに整った顔を覆っている。出来れば眼鏡を外したところも見てみたい」と印象を語ります。
常にイライラのオーラが出ているハルヒとは対照的に、無表情な神秘的キャラクターであることがわかります。
長門有希は自身の正体を「この銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」であると説明します。
何を言っているのかはよくわかりませんが、ハルヒが求める「宇宙人」という言葉で括ってしまって問題ありません。
朝比奈みくるは、キョンの見立てでは「小柄で童顔な、下手をすれば小学生と間違ってしまいそう」なキャラクターです。
ハルヒはみくるについて「何かおかしな事件が起こるような物語にはこういう萌えでロリっぽいキャラが一人はいるものなのよ」と語っています。
みくるは「わたしはこの時代の人間ではありません。もっと、未来から来ました」とキョンに言い、時間の概念や時間移動の仕組みなど、何を言っているのかよくわからない説明をしますが、ハルヒが求める「未来人」で間違いありません。
語り手を通して、読者は少しずつ、難しいけどわかりやすい三者三様に確立した美少女キャラクターを把握していきます。
キョンは語りで3人を「ハルヒ」「長門」「朝比奈さん」とそれぞれ呼んでいます。このあたりにさりげなく、キョンが感じるそれぞれのキャラクターへの距離の違いが表現されています。
下の名前で呼ぶほどの親近感が湧くハルヒ、無機的ゆえにつっけんどんに苗字で呼ぶのがしっくりくる長門、学年は上だけど年下に見えるため「先輩」とは呼べず呼び捨てにもできないから「朝比奈さん」。
長門やみくる、あるいは最後に入団したイケメンな「超能力者」である古泉一樹らの魅力がたっぷり描かれつつ、物語はハルヒとキョンの距離をさらに縮める道を辿ります。
転=考察(21世紀初頭の日本社会に生きる高校生の葛藤)
この小説がスニーカー大賞を受賞したのは2003年の2月です。執筆されたのは、少なくともそれ以前です。
2002年には多くの学校で完全週休二日制が実施されました。作品の時制が「現代」とするならば、ハルヒやキョンは「ゆとり教育」を受けた最初の世代に該当します。
その頃の国内はケータイやインターネットの社会が少しずつ普及し始めていました。
長門やみくるが手紙でキョンを呼び出す一方で、ハルヒは携帯電話を使ってキョンを呼び出します。時代がアナログからデジタルに変わる過渡期において「手紙」と「携帯電話」がどちらも主要な連絡手段として使われています。
アナログとデジタルが併存する混沌は、高校生のハルヒやキョンたちが生きる日常には、まだ大きな変化をもたらすほどではありません。SOS団のウェブサイト作りや携帯電話での呼び出しなどで便利を感じる程度です。
もしこの時期にネット社会が10代世代に広く普及していたら、涼宮ハルヒは本作のような憂鬱を感じなかったかもしれません。インターネットはそれほど刺激的です。
しかし、作中の時間はネット社会のほんの少し手前です。もどかしいくらい直前です。
涼宮ハルヒは憂鬱です。つまらない日常にイライラしています。そんなハルヒの奇妙な言動を見て周囲の生徒は珍しがります。
とはいえ、周囲の生徒たちにとっても、やり場のないエネルギーを持て余して過ごしているのは同じであり、その時間は憂鬱そのものだったのではないでしょうか。
変わらない日常。つまらない時間。なんとなく感じる息苦しさ。このままでよいのだろうか…
思春期特有といわれる憂鬱を、人生の一部ととらえて流すか、変えようとするのか。
変えようとした涼宮ハルヒは「アナログ時代における最後の革命家」なのかもしれません。
結=この小説から得たこと(日常を変える勇気)
イライラするほどつまらない毎日を変えるために、涼宮ハルヒは「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」を結成しました。
団員を集め、サイトを作り、校門で「この世の不思議」を募集するチラシを配りました。
団員は5人になり、ハルヒたちは土曜日の朝に駅前で集合し、市内の探索に出かけます。残念ながら、成果は見つかりませんでした。
その裏では、とんでもないことが起きています。涼宮ハルヒは世界を破壊しようとしていて、しかしハルヒ自身は自分がそのような存在であることには気づいていません。
ハルヒの暴走を止めるためのキーワードは「白雪姫」…。
以降のクライマックスについては触れないことにして、大切なのは「面白いことは待っててもやってこないんだ」とハルヒが気がついて、実際に「変えてやろう」と思った心境の変化です。
あらゆる情報がすべて出尽くしたといわれる世の中で、人々はすでにあるものの完成度をいかに高めるか、現状をいかに理想の形にしていくかを求めます。しかし、ハルヒがめざしたのは、新しい価値や概念の創造でした。
すでにあるものを「1」とした場合に「1→2」ではなく「0→1」をめざしたのがハルヒです。
「0→1」なんて、そうそう生まれるものではありません。そもそも「0」は起源です。宇宙やらなんやらのすべての始まりこそ「0」だとしたら、それこそ「0→1」なんて簡単には起こりません。
そんなハルヒが「0→1」を実現するために行動した手段が、SOS団の結成や市内の探索という「1→2」を実現するためにおこなわれるような地道ともいえる作業だったのが印象的です。
【涼宮ハルヒの憂鬱】を読んで、退屈でうんざりする日常から脱出するには、変わるのを待つのではなく、変えるために自分が行動することが必要である、と学びました。
結の転=『語り手キョンの爽快』
ハルヒは、小学校を卒業する頃から、退屈な日常を変えてやろうと思い、実際に行動に移しました。結局は何もなく、高校生になっていました。
「少しは何かが変わるかと思ってた」と語るハルヒに、キョンは「そうか」とだけ返します。
『こんなことぐらいしか言えない自分がちょっと憂鬱だ。』
キョンの胸中にはどんなことが渦巻いていたのでしょうか。彼はすでに、涼宮ハルヒが常人ではなく、その周囲で宇宙人と未来人と超能力者が警戒している構図を知っています。
ハルヒの憂鬱が世界を変えたい気持ちから湧いているものであるのに対して、キョンの憂鬱は、もともと世界を変えたいなんて思っていないけれど、ハルヒの気持ちを少しは理解しつつあり、でも真実を暴露して世界を変えてはいけないという葛藤がかぶさって複雑化しています。
涼宮ハルヒの憂鬱に付き合わされる『語り手キョンの憂鬱』こそ、この物語が読者の圧倒的な共感を呼ぶ理由です。
キョンの憂鬱は、涼宮ハルヒのために信念を通したことで、ラストに到達する頃には見事に晴れています。
普通の社会の普通の高校生として、憂鬱な日常を変え革命を成し遂げたのは、涼宮ハルヒではなくキョンでした。
この物語に裏タイトルを付けるなら『語り手キョンの爽快』はいかがでしょうか?
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